花 鳥 風 月 7

 山頂に程近い開けた場所で紅蓮は空の酒器を片手に十六夜を眺めていた。その近くでは時行が笛を奏していた。

 あの後紅蓮は名や所属までも晒す事なかっただろう。と時行を責めた。それに対し時行は徹底して逃げ回るから。と言い返した。それに下手に探られて自分の存在を公然の秘密とされる方が嫌だ。と付け加えた。

 時行が笛を奏し終え、その余韻が消えた頃合を見計らい、紅蓮が声を掛けた。その声に反応し、くるりと時行が振り返る。月光の中すこしばかり陰を含んだ緑色の瞳に紅蓮が写る。

「先日居場所を突き止めた妖かしがいるだろう?悪いがお前だけで滅してくれないか?」

「仕事、か。分かった。やってみせるよ。」

 紅蓮と目を合わせた後、時行はふいっと目を逸らす。その行為に裏はないと分かっていながらも、紅蓮はどことなく自分が否定されているように感じていた。そして余計な事を口にする。

「相手は二位だ。断れる筈もなかろう?」

 正二位・従二位を合わせても片手で足りるほどしかいない。本来は守秘義務があり口にすべきことではないが、紅蓮は後ろめたさを軽減させる言い訳が欲しくてそれを口にする。

「誰も責めてないよ。それに責めるつもりもないさ。言うたであろう?やってみせると。」

 そういうと時行は紅蓮の隣に座った。そして置いてあった自分の酒器に手を伸ばすと、紅蓮とは違った瓶子に手を伸ばす。その瓶子の中身は水だ。

「折角の十六夜だというのに、帰らなくていいのか?」

養父上ちちうえがいるから問題なかろう。それとも何だ?紅蓮は一人で月見をしたかったのか?」

 その問いに少し言葉を濁しがちにそんなことはないが、と否定する紅蓮。そのような言い方を特に追求するでもなく、そうかぁと間延びした返答を返す時行。二人はこの後殆ど口を利くことなく。紅蓮が歌う歌に合わせて時行が踊ったり、時行の笛を借りて紅蓮が奏したりして深更までその場所で過ごした。

 その後は紅蓮が深谷寺から滞在の間借りている部屋に戻りった。

「泊まっていくか?寝具は一人分しかないが。」

 既に用意されていた褥を指差し、紅蓮は言う。時行は僅かばかり眉間に皺を寄せ、顎の下に丸めた手の甲を当て考える仕草をする。

「泊まるとなれば、一枚の単を二人で使う事になるのか?」

 そう問う時行に対し、であろうな。それが何か問題なのか?と返す紅蓮。少し前ならば時行はこういった行為に大して疑問を持つ事はなかっただろう。二人は物心がつく前から会っており、一枚の単を共用する事が多々あった。

「この歳にしてなどと思うておるだろう。その歳にしておやじさんの褥にはよく潜り込んでいるくせになぁ。」

 にやにや笑いながらからかいの意を込めて言い、大袈裟に首を横に振って見せる紅蓮に対し、ぐっと時行が詰まる。時行が養父の事を、紅蓮は「おやじさん」と呼んでいる。そして何故そんな事を彼が知っているのか、時行は問わなかった。実際に紅蓮がそれを目撃したか、さもなくば他の居住者から聞いたかしかないからだ。それにもし聞いたのであれば、そのようなことを言うのは一人しかいないことを時行は知っていた。

 先に褥に横になると、紅蓮は自分の隣を軽く叩いて時行に背を向けた。その様子を見て時行は諦めたかのような溜息をついてから、大人しく紅蓮の隣に入り同じく背を向けた。ついてはいないが背中に紅蓮の体温をほんわか感じながら、時行は眠りに落ちていった。

 時行が完全に寝入ったのを確認した紅蓮は、部屋の隅、月明かりにぼぅっと浮かぶ存在に対して手招きし、自分の胸の前を軽く叩く。すると部屋の隅にいたものは、引きずるように影を伸ばし紅蓮の腕の内に収まった。それからその存在が時行の方に投げかけていた視線を自分の方に向き直させると、くすっと笑って頭らしき所を撫でた。

「嫉妬するなよ朱蝶。月見に参加させなかったのは今日の罰だからね。さぁもうおやすみ。」

 時行と博雅の手に怪我をさせた、紅蓮にしか懐かない付喪神朱蝶は、少し身じろぎすると人形ひとがたになり、紅蓮にへばりつくようにして目を閉じた。

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